mothertreeumeの日記

私がのびのび楽しむ日記

じゃあ、この「渇き」はどうするの?

いつの頃からか
ずーっと何かを探していました。

この人生で、私が果たしたい、何か。
自分が生まれてきた意味のような、何か。

子どもを三人も育てて
だんなと家庭を築いて
それで、充分じゃないのって。
そう、言い聞かせても
やっぱり心の底にずっと消えない何か。
「渇き」のような何か。

並木さんに出会って
教わった「統合」や
その「世界観」が
この「渇き」を満たしてくれた
そんな気がしました。

でも、続けていく中で
「目醒めていく人」と
「眠りつづける人」という
二極化の物語を
私は望まない、ということが
ハッキリとしました。

大切な家族
大好きな友人
ご近所さん
お世話になっている人々。

たとえ何を目指そうと
たとえ何になろうと

私を想ってくれる人々と
距離ができ
隔たりができることを
私は望まない。

そのすべてを
「捨てなければ目醒められない」
のなら、私は目醒めを望まない。

私が望むのは
「眠り」も「目醒め」も関係なく
この私という世界にいる存在を
そのまま慈しみ、愛おしむこと。

そう、ハッキリとわかりました。

だって。
人も、想いも
はかなくて
可愛いものだから。

わざわざ
「映像」だ
なんて言わなくても
いつかは、必ず
消えてなくなってしまうもの。 

一喜一憂、いいじゃない。
現実にのめりこめるのも
考えすぎてわからない体験も
生きているからこそ。

あらゆる制限をこえて
何もかもを受けいれて。

あまりあるほど
大きな大きな
自分になりたい。

限りない安らぎと
限りない豊かさと
限りない愛。

全部が私の中にあって
その中心で
のびのび笑ったり
泣いたりして
表情豊かに
このまんまを生きたい。

大好きよ〜!って。
この私という世界に
頬ずりしながら生きたい。

この人生で果たしたいこと。
それはたぶん
あらゆる「私」を 
生きて
あらゆる「私」を
そのまんま
愛しきること。

そんな風に今は感じています。