mothertreeumeの日記

私がのびのび楽しむ日記

どうして「目醒め」たかったの?3

こんばんは。

久しぶりに体調を崩しました。
何と、だんなと同じタイミングでした。
なんでしょうね、これ。

二人でふぅふぅ言いながらダウンし
だんなは頭痛と嘔吐で起き上がれず。
わずかばかり症状がマシな私が
ほぼ白目むきながら、家事育児でした(笑)。

えぇ。そりゃあもう!
好きなように毒づきましたよ(笑)。

これまで、
「認めてこなかった」
そして、たぶん、感じることを
「許してこなかった」あれこれが
ドーンときたような感じです。

やっと回復してきた今。
また、自分に、問うています。

「なぜ目醒めたかったの?」

それは、
誰のせいにもせず
環境のせいにもせず
誰をも、自分をも責めずに
ただ、このすべてを自分で変えることができる

内面を常に整えることで
現実は勝手に整っていく
そんな世界を見てみたかったのです。

「現実はただのスクリーンに映った映像」と
とらえることで
生きていく上で感じてきた
漠然とした「不安」から解放されたような
感覚がして。

どんどん、現実に焦点をあわせることを
やめてきたのです。

知らなかった自分の可能性が
どんどん広がるようで。
空ばかりみて、宇宙を思い
見えないことに焦点をあわせてきました。

不快なことは
すぐさま、手放してきました。
感じることも
立ち止まることも、せずに。

そのことは、確かに
「大変な局面」を乗り切る力になりました。
そして
「起きていること」と
「それを感じている自分の感覚」を
「別のこと」としてとらえる
力にもなりました。

だけど、だけど。
これまで、支え合って生きてきた
だんなと
共有できるものが
ドンドン減っていくのです。

穏やかだけど
求めることも、怒ることもなくなり

だんなの
「今日、大変やったわ〜」からはじまる
その日の出来事にも関心がなくなり。

なんというか
これまで、一緒に築いてきた
「家族」という
暖かで特別な何かが
どんどん薄れていくのです。

その影響を一番にうけていたのは
子どもでした。

だんだんと長男は
あまり駄々をこねることがなくなり。
逆に長女は
ものすごくアップダウンが
はげしくなりました。

この、家の中に
私とだんなで生みだす
独特なハーモニーのような
「音」があって
それは目には見えないけれど
子どもはそれを耳にして
はじめて、本当に安心できるような何かで。

そのハーモニーが
どんどん薄れていきました。

私一人がすごい勢いで
遠退いていったのです。

でも。
やっぱり、子どもは。
子どもだけは
どうしても
どうしても
守りたかった。

家の中で
父と母に距離ができることが
どれほど、子どもを、不安にさせ
どれほど、子どもを、傷つけるのか。

そんなことは
本当はずっと前からわかっていたのに。

たとえ、それが 
私の周波数で写した映像だとしても
私はそれを手放して
自分の統合をこれ以上すすめることを
望みませんでした。

私が目醒めることよりも
目の前でわが子が安心して
笑っている姿を。

私が目醒めることよりも
「疲れたよ」って言うだんなの背中を
「大変だったね」って
心をこめて、なでたい。

ただ、ただ、そこに戻りたい。
心の底からそう思って。

そして、統合をやめました。