mothertreeumeの日記

私がのびのび楽しむ日記

どうして「目醒め」たかったの?2

YouTubeをとおして
又は書籍をとおして
「統合」をはじめてみました。

そうすると、本当に軽くなるのです。

夫に対するイライラも。
わが子に対するイライラも。

すーっとおさまって
静かに、なるのです。

「これは、いいわ〜」

もともと、一つのことをやると
周囲が見えなくなるくらい凝り性だったから。

集中して、とにかく毎日
どんどん、やりました。

子どもに手がかかり、疲れては
夫にあたり。
仕事で遅く帰ってくる夫に
また、毒づき。
そして、自己嫌悪に陥る、という
このループに
ほとほと疲れはてていたのです。

人のせいにするのは、イヤだ。
自分の大変さを
子どものせいにするのも、イヤだ。

「もう、期待しない」
「もう、待たない」
「全ては、私」って。

「期待する」ことも「待つ」重さも
心地よくなかったから、手放しました。

「私が楽しくいたらそれでいい」
「私が軽くなったらそれでいい」
そう、何度も言い聞かせました。

これまでなら夫から
「飲み会があるんだけど」っていわれると
殺伐とした声で
「へぇ〜。で、どうすんの?」って
返していた私が

「そっか。いってらっしゃい。
大丈夫だよ」って。
普通に言えるようになって。

だけど、どうしても、手が足りない。
あっちで泣いて
こっちでお漏らしして、
そっちで「宿題おしえて〜!」って言ってる。

ごはんも、お風呂も
一人で三人。
自分のことなんて、なりふりかまわず。

こんなにやっても
それでも、まだダメか。
疲れたよ。
こんなの無理だよって
泣きそうになったら

その度に
「できない」を
「しんどい」を
「助けて」を手放して。

イライラしそうになると
また、それを手放して。

そしたら本当に静かになって。
笑顔をつくる、余裕もでてくるのです。

「大丈夫。全然やれる」
「子どもにあたらなくてよかった」
「そうか、やっぱり私次第なんだね」
「私、もっと変わろう
 私、もっと手放そう」って。

同時に「並木さん」のお話も
YouTubeなどで、何度もききました。

そしたら、思い出したのです。
子どもの頃
「自分は宇宙人だから」って
「いつかお迎えがくるから」って
毎晩夜空にむかって一人で儀式をしていたこと。

裏の川には龍がいて
私が笛をふけばでてくる、と
本気で思っていたこと。

ああ、あの世界は本当にあったんだ。

そう思うと、またそれが
楽しくて、嬉しくて。

色んなことがみえてきたり
色んな声がきこえてきたりすると
また、夢中になって。

家でできる。
子育てしながら、できる。
すごい!
面白い!って。

どんどん、「統合」が
すべての中心になりました。

そして、このあたりから
「静けさ」や「穏やかさ」とひきかえに
私の中で「だんな」という存在感が
一つ、また一つと消えはじめたのです。

(続きます)