mothertreeumeの日記

私がのびのび楽しむ日記

ありがとうございました。

こんばんは。

こちらのブログでお付き合いいただき
ありがとうございました。

自分の進みたい方向が
変わってきたので
ブログを新たに開設して 
今後はそちらに
日々のあれこれを
綴っていきたいと思います。

https://mothertreeume2.hateblo.jp/
「葉っぱ日記」と名付けました。

今みえていること
感じることを
あれこれと気ままに書きます。

もしも、よければ
こちらでもお付き合いいただければ
嬉しいです。

こちらのブログはこれにて
いったん終了となります。
これまで、お読みいただき
ありがとうございました。

じゃあ、この「渇き」はどうするの?

いつの頃からか
ずーっと何かを探していました。

この人生で、私が果たしたい、何か。
自分が生まれてきた意味のような、何か。

子どもを三人も育てて
だんなと家庭を築いて
それで、充分じゃないのって。
そう、言い聞かせても
やっぱり心の底にずっと消えない何か。
「渇き」のような何か。

並木さんに出会って
教わった「統合」や
その「世界観」が
この「渇き」を満たしてくれた
そんな気がしました。

でも、続けていく中で
「目醒めていく人」と
「眠りつづける人」という
二極化の物語を
私は望まない、ということが
ハッキリとしました。

大切な家族
大好きな友人
ご近所さん
お世話になっている人々。

たとえ何を目指そうと
たとえ何になろうと

私を想ってくれる人々と
距離ができ
隔たりができることを
私は望まない。

そのすべてを
「捨てなければ目醒められない」
のなら、私は目醒めを望まない。

私が望むのは
「眠り」も「目醒め」も関係なく
この私という世界にいる存在を
そのまま慈しみ、愛おしむこと。

そう、ハッキリとわかりました。

だって。
人も、想いも
はかなくて
可愛いものだから。

わざわざ
「映像」だ
なんて言わなくても
いつかは、必ず
消えてなくなってしまうもの。 

一喜一憂、いいじゃない。
現実にのめりこめるのも
考えすぎてわからない体験も
生きているからこそ。

あらゆる制限をこえて
何もかもを受けいれて。

あまりあるほど
大きな大きな
自分になりたい。

限りない安らぎと
限りない豊かさと
限りない愛。

全部が私の中にあって
その中心で
のびのび笑ったり
泣いたりして
表情豊かに
このまんまを生きたい。

大好きよ〜!って。
この私という世界に
頬ずりしながら生きたい。

この人生で果たしたいこと。
それはたぶん
あらゆる「私」を 
生きて
あらゆる「私」を
そのまんま
愛しきること。

そんな風に今は感じています。

どうして「目醒め」たかったの?3

こんばんは。

久しぶりに体調を崩しました。
何と、だんなと同じタイミングでした。
なんでしょうね、これ。

二人でふぅふぅ言いながらダウンし
だんなは頭痛と嘔吐で起き上がれず。
わずかばかり症状がマシな私が
ほぼ白目むきながら、家事育児でした(笑)。

えぇ。そりゃあもう!
好きなように毒づきましたよ(笑)。

これまで、
「認めてこなかった」
そして、たぶん、感じることを
「許してこなかった」あれこれが
ドーンときたような感じです。

やっと回復してきた今。
また、自分に、問うています。

「なぜ目醒めたかったの?」

それは、
誰のせいにもせず
環境のせいにもせず
誰をも、自分をも責めずに
ただ、このすべてを自分で変えることができる

内面を常に整えることで
現実は勝手に整っていく
そんな世界を見てみたかったのです。

「現実はただのスクリーンに映った映像」と
とらえることで
生きていく上で感じてきた
漠然とした「不安」から解放されたような
感覚がして。

どんどん、現実に焦点をあわせることを
やめてきたのです。

知らなかった自分の可能性が
どんどん広がるようで。
空ばかりみて、宇宙を思い
見えないことに焦点をあわせてきました。

不快なことは
すぐさま、手放してきました。
感じることも
立ち止まることも、せずに。

そのことは、確かに
「大変な局面」を乗り切る力になりました。
そして
「起きていること」と
「それを感じている自分の感覚」を
「別のこと」としてとらえる
力にもなりました。

だけど、だけど。
これまで、支え合って生きてきた
だんなと
共有できるものが
ドンドン減っていくのです。

穏やかだけど
求めることも、怒ることもなくなり

だんなの
「今日、大変やったわ〜」からはじまる
その日の出来事にも関心がなくなり。

なんというか
これまで、一緒に築いてきた
「家族」という
暖かで特別な何かが
どんどん薄れていくのです。

その影響を一番にうけていたのは
子どもでした。

だんだんと長男は
あまり駄々をこねることがなくなり。
逆に長女は
ものすごくアップダウンが
はげしくなりました。

この、家の中に
私とだんなで生みだす
独特なハーモニーのような
「音」があって
それは目には見えないけれど
子どもはそれを耳にして
はじめて、本当に安心できるような何かで。

そのハーモニーが
どんどん薄れていきました。

私一人がすごい勢いで
遠退いていったのです。

でも。
やっぱり、子どもは。
子どもだけは
どうしても
どうしても
守りたかった。

家の中で
父と母に距離ができることが
どれほど、子どもを、不安にさせ
どれほど、子どもを、傷つけるのか。

そんなことは
本当はずっと前からわかっていたのに。

たとえ、それが 
私の周波数で写した映像だとしても
私はそれを手放して
自分の統合をこれ以上すすめることを
望みませんでした。

私が目醒めることよりも
目の前でわが子が安心して
笑っている姿を。

私が目醒めることよりも
「疲れたよ」って言うだんなの背中を
「大変だったね」って
心をこめて、なでたい。

ただ、ただ、そこに戻りたい。
心の底からそう思って。

そして、統合をやめました。

どうして「目醒め」たかったの?2

YouTubeをとおして
又は書籍をとおして
「統合」をはじめてみました。

そうすると、本当に軽くなるのです。

夫に対するイライラも。
わが子に対するイライラも。

すーっとおさまって
静かに、なるのです。

「これは、いいわ〜」

もともと、一つのことをやると
周囲が見えなくなるくらい凝り性だったから。

集中して、とにかく毎日
どんどん、やりました。

子どもに手がかかり、疲れては
夫にあたり。
仕事で遅く帰ってくる夫に
また、毒づき。
そして、自己嫌悪に陥る、という
このループに
ほとほと疲れはてていたのです。

人のせいにするのは、イヤだ。
自分の大変さを
子どものせいにするのも、イヤだ。

「もう、期待しない」
「もう、待たない」
「全ては、私」って。

「期待する」ことも「待つ」重さも
心地よくなかったから、手放しました。

「私が楽しくいたらそれでいい」
「私が軽くなったらそれでいい」
そう、何度も言い聞かせました。

これまでなら夫から
「飲み会があるんだけど」っていわれると
殺伐とした声で
「へぇ〜。で、どうすんの?」って
返していた私が

「そっか。いってらっしゃい。
大丈夫だよ」って。
普通に言えるようになって。

だけど、どうしても、手が足りない。
あっちで泣いて
こっちでお漏らしして、
そっちで「宿題おしえて〜!」って言ってる。

ごはんも、お風呂も
一人で三人。
自分のことなんて、なりふりかまわず。

こんなにやっても
それでも、まだダメか。
疲れたよ。
こんなの無理だよって
泣きそうになったら

その度に
「できない」を
「しんどい」を
「助けて」を手放して。

イライラしそうになると
また、それを手放して。

そしたら本当に静かになって。
笑顔をつくる、余裕もでてくるのです。

「大丈夫。全然やれる」
「子どもにあたらなくてよかった」
「そうか、やっぱり私次第なんだね」
「私、もっと変わろう
 私、もっと手放そう」って。

同時に「並木さん」のお話も
YouTubeなどで、何度もききました。

そしたら、思い出したのです。
子どもの頃
「自分は宇宙人だから」って
「いつかお迎えがくるから」って
毎晩夜空にむかって一人で儀式をしていたこと。

裏の川には龍がいて
私が笛をふけばでてくる、と
本気で思っていたこと。

ああ、あの世界は本当にあったんだ。

そう思うと、またそれが
楽しくて、嬉しくて。

色んなことがみえてきたり
色んな声がきこえてきたりすると
また、夢中になって。

家でできる。
子育てしながら、できる。
すごい!
面白い!って。

どんどん、「統合」が
すべての中心になりました。

そして、このあたりから
「静けさ」や「穏やかさ」とひきかえに
私の中で「だんな」という存在感が
一つ、また一つと消えはじめたのです。

(続きます)

どうして「目醒め」たかったの?

どうなりたかったの?

少しずつ、少しずつ
自分の中を整理しています。

どうして、「目醒めたかったの?」 

それは、危機感からはじまった
私にとっては
切実な「突破口」でした。

次男を授かる前。
腎臓に炎症をおこし
入院して治療する予定に
なっていました。

その他にも逆流性食道炎にも
なっていて。
気がつけば身体には
あちこち悲鳴があがっていました。

そんな中
入院する直前に次男の妊娠がわかり
「まずは、妊娠、出産を」ということで
経過を慎重にみながら
妊婦期間をすごすことになりました。

「どうして病気になったんだろう?」
「何かが間違っていたのかな」
妊娠期間中、くりかえし
頭の中によぎる疑問。

「楽しい」「幸せだ」と言い聞かせて
歯を食いしばって子育てしてきた
自分に、気が付きました。
(実際、歯ぎしりがすごすぎて
歯の具合も悪くなっていました)

家族がふえる、次年度は
夫の職場が代わることも決定していて
帰宅もさらにおそくなることが
わかっていました。

長男は小学校入学。
大きな環境の変化をむかえます。
そして長女ははげしく
赤ちゃんがえりをする予感。

この、身体で
この、私で
さらに赤ちゃんがふえて
一人で、このすべてに対応できるの?
一人で、毎日、毎晩、子育てできるの?
身体も万全ではないのに。
緊急入院とかってなったら大変だよ。
まだこんなに子どもたち小さいのに。

「いつでも声かけて
サポートするから」

暖かい友人にも囲まれていましたが
何を、どう、頼んだらいいのか。
もう、それすらも見当がつかず。

すっかり自分に対する信頼もなくし
心のどこかはいつも
不安で、不安で
たまりませんでした。

ここで、普通なら環境の整備を
(実家のそばに引っ越すとか)
考えるのですが
諸事情で、それも難しく。

「私が、変わるしかない」
「私が、何とか乗り切るしかない」 
何かをずっと探していました。

そんな切実さの中で
去年の年末、並木さんに出会いました。

「すべて自分が創造している」
「現実はどうとでも変えられる」

その言葉は本当に救いでした。

「私が変われば、この局面をのりきれる」
「私が変われば、笑顔で子育てして
家族と元気で一緒にすごせる」

そして、何より
歯をくいしばって暮らしながら
「何かが欠けている」
と抱いていた
漠然とした空虚感が
満たされる感覚がしました。

「変わろう」
「変わらなくちゃ」

そう。スタートは
「笑顔で子育てをするために」
「元気な私でここで幸せでいるために」 
そして
「自分で自分を満たすために」
はじめた、「統合」でした。

(続きます)

うん、大丈夫。

どうして、こんなに
ワクワクするんだろう?

スーパーで買い物をする。
他のお客さんをみつめる。

「みんなも、買い物してるんだ
ここにも、こんなに、人がいるんだ」

人が、いる。
今までも過ごしてきた場所なのに 
新鮮で、やたらと楽しい。

暑いからって、布団もしかず
だんながお腹だして寝てる。
まだ子ども達の仕上げ磨きもしてないし
ああ、下の子が泣き出したぞ💦

「チッ」ってなる。

「チッ」やって♥
わぁお。楽しいぃぃ〜!
ニヤける。

思う存分ここで
感情的に反応する、という自由に
ものすごくニヤけている。

ネガティブなこと。
ふと不安だったり
心配だったりが浮かぶと
これまでは
形にして、遠くに送ってきたけれど。

今は、いったんとりだして
優しく抱きかかえて
この腕の中で光にかえて
「可愛い可愛い」って
自分に、もどしてみる。

そしたら、ぱぁ〜っと。
私の中の何かが明るくなって
もう、忘れてる(笑)。

何にもならなくてよくて。
どこにも行かなくてよくて。

好きなように
お店のおばちゃんと世間話しして。
好きなように冗談言って、笑って。

安堵感と解放感の中で
のびのび呼吸している。
うん、大丈夫、大丈夫。

ストーンと帰ってきました。

ここに。
この地上に
この家族のもとに
ストーンと帰ってきました。

臨場感をなくしていった
大好きな夫。
臨場感をなくしつつあった
可愛い
愛しい
大切な、大切な
わが子。

大好きな友達も。
両親も。
「どんなだっけ?」
「どんな風に接してた?」って。

穏やかだけど
揺れなくなったけど

ここに、自分の目の前に
「大切な人がいる」
体温が、鼓動が
存在感が感じられない。

どんどん、離れていくよ。
手放しても手放しても
「手放しきれない」何かが
ずっとひっかかってる。

いや。ちがう。
私、手放したく、ないんだ。

ちがう。
私がもとめているのは
ここじゃない。
ここじゃない。


自分の中の不一致に気が付き
「統合」をやめました。

私は今回の人生で
「目醒め」よりも、何よりも

どろんこまみれになって
生きているわが子達の息吹を
五感で感じながら
現実感をもって、子育てを、したい。

歯のない口でニカっと笑う
やっと4ヶ月になった次男の
可愛い寝返りを
夢中になって応援したい。

ギャーって大泣きする
三歳の娘の声に
「あ〜もうわかったから!」って。
一緒に抱き合って
時には私も泣きたい。

6才の長男が友達と
泥だらけになって
居間にはいってきたら
「こらーっ!」って
息子もその友達もしかりとばして。
「あんたもうちの子と一緒やで!
怒るけど、でも傷つかんといてや」
って。息子とその友達の頭を
クシャクシャなでてやりたい。

そして、迷ったり泣いたり傷ついたり
そういうすべてを、そのままやりたい。

せっかく生まれてきたのだから。
私はここで
大好きな家族と共に生きているのだから。

だから、「統合」やめました。

人間くさい瑞々しい私のままで
ここで、私は幸せでいる。
そう、きめました。

変人は変人のままですけどね。

でも、今。
とてもとても幸せです。
くっきりと
立体感のある色鮮やかな世界は
それはそれは
美しくて、新鮮なとれたて野菜みたいです。


※募集させていただいたイベントは
新たなオーガナイザーさんをお迎えして
従来どおり開催させていただきます。
ご不明な点などございましたら

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